「耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。』」」 ヨハネの黙示録 3章22節

「わたしはあなたの行いを知っている」と、主は声を上げて、教会が主の愛から離れてしまったことを指摘します。
教会の欠け、生ぬるく命がげで愛に生きない姿を指摘するのです。
主は、私たちの行いを知っています。
すべて知っています。
それは隠し事を見抜いているというのではなく、愛して見守っていてくださるから、知っているということです。

ですから、主は語られるのです。
「耳のある者は、聞きなさい」と、語られるのです。
主のことばを心を尽くし、力を尽くし、いのちを尽くして聞くのです。
聞くことから、信仰は始まり、愛の行動も始まります。
聞かない人は、何もできません。何も変わりません。

主は、裁き、滅ぼし尽くすとは語られないのです。
知っているから聞きなさいと、私に声をかけてくださる。
そして、私が聞くとき、主は私のそばに来てくださり、私を祝福してくださいます。

すべてを知られているということは、愛されていること。
愛されている私なのですから、聞く者となって、耳があることを証ししたい。

シャローム