「これらの人々は自分たちの系図書きを捜してみたが、見つからなかったので、彼らは祭司職を果たす資格がない者とされた。」 エズラ記 2章62節

ここには補修の地から帰還した人たちが、かつての町で、大切な元の仕事について行くことと、つけなかった人がいることまでも記るされています。
部族、士族ごとの細かな人数だけでなく、その資格までも記されています。

41〜42節には、主の宮での大切な奉仕とする者として、歌い手、門衛の奉仕をする部族の名前も示されています。
しかし、ここには祭司になれない者がいたことが記されます。
このことは単にその出身、部族としての系図がないことが示されますが、系図書きがないことが一番の問題ではないのです。
捕囚の民であった長い期間を、祭司としての自覚を持って歩んでいなかったということです。
主の宮は、捕え移された国にはなくても、主の民、主の祭司として、いつも主を礼拝して、その職務を忘れなかったかどうかが、問題にされるのです。

どこで生活をしても、どのような形で生活をしていても、いつも主を中心にして、礼拝と祈りと賛美を献げ続けることを大切にできるかどうかが問われます。

過酷な環境の下でも、悲しみの多い時でも、いつも主を見上げ、主を礼拝していくことが大切です。
系図は、名前が引き継がれますが、私たちは、祈りと賛美を弾き続ける者でいたい。

シャローム