「彼らの父祖の神、主は、彼らのもとに早くからたびたび使者を遣わされた。それは、ご自分の民と、ご自分の住いをあわれまれたからである。」歴代誌 第2 36章15節 (2017新改訳)

ヨシヤ王の後にたてられた王は、エホアハズ、エルヤキム(エジプトに改名させられてエホヤキム)、そしてエホヤキン、さらにゼデキヤ。
これらの王たちは、主の目に悪であることをおこなって悔い改めることがありませんでした。
預言者の語ることばにも耳を貸さず、へりくだることがありませんでした。

どうしてこんなにも罪を重ねていくのでしょう。
それでも主は、たびたび預言者を遣わし、使者を送って、主のことばに立ち帰るように語られるのです。
それはすべて主が彼らを、そんな彼らをも愛して、あわれまれたからです。
そしてご自分の主の宮に罪が満ちていることをあわれんで、助けようと語ってくださるのです。

ところが王も、民もまた、主のことばを聞きません。
何度も与えられた悔い改める機会を逃したのです。
ここ15節には「主は、彼らのもとに早くからたびたび使者を遣わされた」と、あります。
罪が広まり深まる以前から、主は早くから示してくださった。
そして主は諦めないで、たびたび使者を遣わしてくださっていたのです。

私たちは、主の声を聞き漏らしていることはないのでしょうか。
主のことばを取りこぼしたりしていないでしょうか。
ついには、主の憤りが燃え上がったと、17節は語ります。

主は、あわれみ深い方なのです。
怒るのに遅く、あわれみ深く、恵みに富む方なのです。
聞き漏らさず、主のことばに従える者で、いつも、いつまでもいたい。

主のことばに従える私であることが、一番の幸い、祝福なのだと教えられる箇所です。
シャローム