「あなたがたも、かつては神から離れ、敵意を抱き、悪い行いの中にありましたが、」 コロサイ人への手紙 1章21節
コロサイ人への手紙を読みます。
コロサイの教会に入り込んできた異端の教え、また、誤ったユダヤ教的な教えに対して、キリスト・イエスこそ教会の頭であり、知恵であることを教えるために手紙を書いたのです。
牢獄の中にいたパウロは、その労苦さえもキリストを信じる故の大切なことと受け止めています。
イエス様と出会い、神様のことばを信じて罪を認める前の私たちのことをパウロは、ここでこう表現したのです。
「神から離れた者」
「神に敵意を抱く者」
「悪い行いをして生きる者」
こう言われると、何一つ良いものがない存在です。
神から離れているとは、糸の切れた凧のようなもの。自由に何処でも行ける、何でもできるのではなく、彷徨い、いずれは墜落するものに過ぎません。
敵意を抱くとは、自分の創造主、生きる価値に対して、敵対することです。
平安とは真逆で、攻撃的で破壊的で、自分自身をも壊す者です。
悪い行いとは、本当は何をするべきなのか、自分の与えられた人生の中で、分からないまま歩む者ということです。
私たちは、知らず知らずに滅びに向って進み、良いことをしているつもりで悪いことをしてしまう者。
自分では良いことをしたいと願いつつ、それができない、できていない。
ところが、それに気がつかないまま歩んでいるのだと、パウロは指摘するのです。
反論したいところです。
しかし、それを認めるところから救いを受け取り、神とともに歩む、良い人生を生きることが始まります。
シャローム