「罪と不法が赦されるところでは、もう罪のきよめのささげ物はいりません。」ヘブル人への手紙 10章18節
モーセの律法による罪のきよめのためのささげ物の規定とキリスト・イエスがご自分の命をいけにえとしてささげられたささげ物とを比較して語っています。
イエス様がご自分をささげ物となってくださるよりも前は、祭司は毎年いけにえをささげなければなりませんでした。
それでも、罪を完全にきよめることはできませんでした。
むしろ、ささげる度に、私たちは自分の罪を思い起こすことになります。
しかし、今はイエス様が、ご自分の命を傷のない完全ないけにえとしてささげられて、私たちの罪を贖ってくださいました。
このささげ物によって、それまで祭司によってささげられてきた罪をきよめるためのささげ物をささげる必要はなくなりました。
罪は完全にきよめられる道が開かれたからです。
17節、18節では「罪と不法」と表現されます。
私たちの罪を、分けて考えているのではなく、言葉を重ねることで、私たちの罪のすべてを現しています。
そして、それがイエス様によって完全にきよめられたことを現すのです。
神が完全にきよめた、もはや罪を思い起こさないと宣言してくださっています。
それなので、私たちは罪を思い起こして苦しむのではなく、赦されている確信を信じ切って、忍耐して歩のです。
私たちの日々の、小さな隙を狙って、心の弱くなった時を狙って、狡猾にサタンが攻撃し、誘惑をすることがあります。
ですから、私たちは、自分の思いや考えではなく、イエス様のことばに信頼して、いただいた約束を保っていきましょう。
イエス様に愛された者、赦された者であることを喜び、確信して歩みましょう。
シャローム