「それにしても、あなたがたは、よく私と苦難を分け合ってくれました。」 ピリピ人への手紙 4章14節

ピリピの教会は、パウロがイエス様の福音を伝えて生まれた教会です。
それまでは、ユダヤ教の会堂さえなかったのがピリピの町です。
そうして生まれた比較的若い教会は、パウロの宣教の働きを、祈りと献金などの具体的な支援で支え、協力してきました、
パウロはそのことを「よく私と苦難を分け合ってくれました」と、表現するのです。

イエス様の愛に倣って、宣教の働きに仕え、同労者となる。
それは苦難を分け合って、御国の建設に従事することです。
しかし、苦難は分け合いますが、苦労して大変だということがすべてではなく、喜ぶことができます。

普通ならば、私たちは苦難を避けたい、苦難を経験しない方法を選ぶものです。
しかし、手紙の終わりにパウロが教えるのは、主イエスを信じる人は一致して、いつも喜びなさいということです。
喜びは、何か楽しいこと、良いことを経験した時に喜びなさいというのではありません。
主を喜びなさいなのです。

私たちは主と出会い(誰かが出会わせてくれた)、主を信じて歩むようになりました。
その生活を喜びます。主ご自身の存在を自分の喜びとします。
そして、その主イエス様に従って歩んでいるパウロの働き、生き方を聞き、見て、倣っていくのです。
そうする時、私たちは苦難を分け合い、共にしますが、キリストが一緒にいてくださることを体験します。
それが私の失わない、変質しない喜びになります。

パウロと、信仰の先人たちと苦難を分け合うことは、喜びを共有することです。
いつも喜びなさいという、主の命令を守ることができます。
喜べる日々を送れるのです。
シャローム