「私は出て行くときは満ち足りていましたが、主は私を素手で帰されました。どうして私をナオミと呼ぶのですか。主が私を卑しくし、全能者が私を辛い目にあわせられたというのに。」ルツ記 1章21節 (2017新改訳)

今日か「ルツ記」を読みます。
ルツ記は、人々が、それぞれ自分の目に良いと見えることを行っていた主を見失っていた時代から、イスラエル国家が王制へと移って行く橋渡しの書でもあります。
ルツは外国人、異邦人でありながら主と出会い、誰よりも主を信頼して歩んだ女性です。
ルツはイスラエルの二代目の王であり、素晴らしい信仰者でもあるダビデの血筋になっていく人です。

飢饉となった故郷のベツレヘムを去って、遠く異郷の地であるモアブに移り住んだのは、ナオミと夫エリメレク、そして二人の息子でした。
モアブの地で、息子たちは結婚をしますが、その後、二人の息子も夫のエリメレクも死にます。
故郷の飢饉が去り、主が再び祝福を注いでくださったと知って、ナオミは嫁のルツとともに、ベツレヘムに帰ってきたのです。

飢饉の苦しみの中で故郷を離れましたが、その時は満ち足りていたのだと、告白します。
今は、夫も、二人の息子も失い、素手となり、ナオミ(快い、の意味)ではなく、マラ(苦しむの意味)と、呼ぶようにとまで、ナオミは語ります。
しかし、ナオミは主の恵みを半分だけ知ったのです。

飢饉の中でも満ち足りるのです。
夫と息子を失っても、ルツが側にいます。素手になってはいないし、卑しくもありません。
主は、私たちを苦しみを通らせることがあります。
しかし、恵みから恵みへと主は導いてくださる方です。
辛い目に遭っても、試練を通ることでより主の恵みを深く知ることができるのです。

主を知っており、主に信頼して歩めることこそが、満ち足りている日々だと言えます。
ナオミは、失ってなお、大きな恵みを受け取っているのです。
シャローム