「「誇るものは主を誇れ」と書いてあるとりになるためです。」コリント人への手紙 第一 1章31節
今日から「コリント人への手紙 第一」を読みます。
教会に起きていた、或いは置きつつあることを心配したパウロがありったけの愛をもって手紙を書きました。
時には、厳しいことばが記されますが、主イエス・キリストが私たちを愛して、教会に集わせてくださっていることを知ることができる手紙です。
手紙が書き始められる1章は「キリスト・イエスの使徒として召された」と始まります。
1章の30節が記される間に「キリスト」「主イエス・キリスト」と何度も繰り返されます。
パウロは、自分を誇りません。立派な働きをしたとか、素晴らしい成果をあげたなどと誇りません。
しかし、信仰者の中にパウロとの関係を誇ったり自分を誇る人が現われてきたので、パウロは忠告します。
誇るべきは、主だけです。
主イエス・キリストを信じて、主の弟子としていただいたことを喜び感謝するだけなのです。
他にはなにもいりません。
パウロは、いつでも、どこででも福音を告げ知らせます。
パウロは、主イエス・キリストに召されて信じる者となったこと、主イエス・キリストに仕える者となったことだけを語ります。
そして、伝えた人が、パウロと同じように主イエス・キリストを信じて仕えるようになることを願っているのです。
主を誇るとは、主を信じきって、主を愛して、主に仕えることです。
それは主と出会った誰もができることです。すべきこと、望むべきことです。
そこに喜びがあります。
シャローム