「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた。」士師記 21章25節 (2017新改訳)
ベニヤミン部族は戦いに敗れ、部族は絶えて消えそうになります。
イスラエルの他の部族は、ベニヤミン部族の残った男に、自分の部族の女性を嫁がせることはしないと誓い合っていました。
ですから、このままではベニヤミンほいずれ完全に滅びてしまうのです。
それを避けたいと考えたイスラエルの部族は、戦いに参加しなかった町の住民を打ち、その中から女性を取り、ベニヤミンに妻として与えます。
また、祭りの時にだけ、女性を奪い去ることを許したのです。
自ら進んで妻は与えていない。
それと同時に、ベニヤミン部族が滅びるのは忍びないので、それを避けるための方法を考えついたのです。
自分に都合の良いことを考えて始めたのです。
ここ21章では、部族が誓い合っていますが、最初から最後まで主に祈り、主の答えを求めることをしていません。
自分の目に良いと見えることを行っていたのです。
主の前に良いことを行うことを優先しないのです。
妻を与えないと決めた時でさえ祈りません。
ベニヤミンが滅びることを避けたいと考えた時も、主の許しと助けをだれも祈りませんでした。
ここ士師記の最後の最後の言葉は「イスラエルの王がなく」です。
王は要りません。
イスラエルには、主がおられるのです。
世界中のすべての王に勝る王の王がおられるのです。
また「なく」とは、主にすがり助けを求めていないと言うことです。
自分の目に良いことではなく、主の目に良いことをおこなえる者でいたい。
いえ、主の目に良いと見えることを祈り求め続ける私でいたいのです。
それぞれ、めいめいが好き勝手生きた罪に沈んでいたのが士師記の時代です。
現代もまた、士師記の時代と同じです。
シャローム