「ああ。主の日を切に望む者。主の日はあなたがたにとって何になろう。それは闇であって、光ではない。」アモス書 5章18節

5章には、主の厳しい表現が続き、イスラエルの罪を暴いています。
主を求めよとのことばがありますが、それはこの時代の人々が主を求めようとしていないことを現しています。
ここでは、主の日を望む者への呼びかけがあります。それも切に求めている者への呼びかけです。
イスラエルに敵対する者たちへの主のさばきを求めている者たちへの呼びかけです。
切にとは、必死に主を求めている人たちのはずですが、主は、その人たちの信仰を否定しています。

主の日とは、主が敵をさばいてくださる日として待ち望みますが、それはイスラエル人をもさばく日なのです。
光ではなく闇、即ち、自分たちがさばかれる日となるのです。
何故なら、イスラエル人も主の前に罪を重ねるばかりの人たちなのです。
敵が滅ぶのを待っていても無駄なことです。
主は、公平にさばきを行い、真に正しい者を助けてくださるのです。
真に正しい者とは、罪を悔い改めて、心から主を愛して求める人のことです。

真に主を待ち望むことが大切だと教えられます。
敵がさばかれる日を待つのではなく、主を待ち望む人とならなければ、平安も喜びも受け取ることができません。
問題となるのは、敵の存在ではなく自分自身です。

シャローム