「立ち上がって 私たちをお助けください。 御恵みのゆえに 私たちを贖い出してください。」詩篇 44篇26節
詩人がこの44篇を歌った時、イスラエルの国は苦しめられて、人々は散らされ苦しめられていたようです。
イスラエルの国が苦しむことで、イスラエルの神の栄光さえも失われたかのように見えるのです。
詩人は、苦しめられている中でも、神、主だけを忘れず信じ、他の神々を頼ることもしなかったと告白します。
神、主の契約を信じていますと、告白するのです。
でもそれはこの時、イスラエルの人々が神を忘れ好き勝手に歩んでいたために主のさばきの中にあったということです。
神さまは、まるでイスラエルを見捨ててしまったかのように御顔を隠し、いつまでも助けてくださらないのです。
しかし詩人は神さまだけを信じて、もう一度救ってくださいと祈るのです。
立ち上がってもう一度、救ってくださいと、切に願うのです。
そして詩人は大切な一つの告白を44篇の最後に告白して祈ります。
「御恵みのゆえに」
詩人が、イスラエルが立派だから神さまは助けてくださるのではないのです。
祝福してくださるのは、詩人への報酬ではありません、対価ではないのです。
すべては御恵みです。
救っていただけるのは、それは神からの一方的な恩恵です。
恵みが根拠です。
だからその恵みを、御恵みを注いでくださいと、ただただ、願うのです。
厚顔な願いかもしれません。でも、良いのです。
主の御恵みを求めるのが私の信仰です。
シャローム