「見よ。彼の心はうぬぼれていて直ぐでない。 しかし、正しい人はその信仰によって生きる。」ハバクク書 2章4節 (2017新改訳)
聖書66巻から1つの書を選び、その書を紹介しながら「みことば」を味わっていきます。
66巻をゆっくり読み進めながら、聖書に記された神様の愛について味わっていきます。
今日開いたのは、ハバクク書です。
預言者ハバククのことばです。
特徴の一つは、ハバククが主のことばを民に語るという通常の預言者の働きではなく、ハバククが、主に問いかけると言う形で始まることです。
私が叫び求めているのに、何故、主は助けてくださらないのかとの、問いかけです。
その問いに対する主の答えは、厳しいものであると同時に一つの新たなる疑問を生みます。
主は、イスラエルを助けるのではなく、その罪のためにさばくと答えられます。
それもカルデア人と言う異邦人を用いてさばきをおこなうと言うのです。
すると、主の愛する民が、異邦人に打たれてしまったら、主の御名が傷ついてしまうのではないなのかと言う疑問が生れるのです。
主は、さらに答えるのです。
カルデア人もまた、主のさばきを受けとることになる。
見よと、2章になって主は、高ぶる者へのさばきを示すのです。
罪深い者、悔い改めない者は、必ずさばきを受ける。主を欺くことはできません。
正しい人はその信仰によって生きるのです。あるいは、その真実な生き方によって祝福されると、言い換えることもできるでしょう。
何故、助けてくださらないのか。
それはハバクク以外の人たちが、神、主を軽く見て、罪を悔い改めて主の前に真実に歩もうとしないからです。
主は、真実に歩もうと格闘し、時に傷つく人を見捨てない。必ず助け、回復し、祝福してくださる。
2章には「高ぶる人」「他人の財産を奪う者」「不正な利を得る者」「流血」「略奪」「恥に満ちる者」「暴虐とさん逆な者」「偶像礼拝をする者」これらの人がさばかれると、示されます。
自分の胸を打ち叩いて、罪を悔い改め、主のあわれみを求める信仰に生きる人になりたいものです。
ハバククその最後には、「弦楽器に合わせて」との言葉があります。聖歌隊と何かの関係があったのでしょうか。
祈りと賛美とがハバククの、そして私たちの生活に密接なものであることを願っています。
シャローム