「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように 神よ 私のたましいはあなたを慕いあえぎます。」詩篇 42篇1節

私は、活ける真の神、イエス・キリストを信じています。
主のことば、聖書の言葉を信じています。
主のことばを聞いて従っていきたいと願っています。

その私は、聖書の神、イエス様と顔と顔を合わせるようにお会いしたいと切に願っているか。
神の顔を見る、それは神の栄光の臨在に触れることであり、救いを確信する時でもあります。
そのように主イエスにお会いしたい、御顔を合わせたいと求めているか。

そんなことを朝一番に思いました。

荒涼な大地を彷徨う鹿が、命の水を飢え渇いて切実に慕い求める、いや、あえぐほどに求めるように、神の顔を慕いあえいでいるか。私はどうだ。

5節、11節はほとんど同じ表現です。
「うなだれ 思い乱れ」ている詩人の姿があります。この詩の中心の言葉でもあります。
詩人はその中で、神を待ち望みます。 慕いあえぎます。
神にお会いすることが、すなわち、詩人の救いであり確信の時です。
ですから、飢え乾き、慕いあえぐのです。

求めるもの、信じて従うべきものが分からなくて、迷い、飢え渇くのではなく。
お会いすべき方を知っていて、なおも慕いあえぐほどに、主イエスを信じて歩むのです。

主イエスを信じる毎日で、詩人のように慕いあえぐ思い、信仰を自分のものにしたい。

それにしても「慕いあえぐ」とは凄い表現だと思うのです。
シャローム