「サウルは槍でダビデを壁に突き刺そうとした。ダビデがサウルから身を避けたので、サウルは槍を壁に打ちつけた。ダビデは、逃げ、その夜は難を逃れた。」サムエル記 第1 19章10節 (2017新改訳)

ねたみから憎しみへと、心を変えていったサウルは、ダビデを殺そうとします。
サウルの息子のヨナタンは、ダビデを愛してサウルにダビデの正しさを訴えます。
一度は、サウルもダビデは殺されることはないと、誓うのですが、また命を狙うのです。

この時から、命を狙い続けるサウルと、逃げ続けるダビデと言う姿が始まり、長く続きます。
10節、12節、18節と「逃げて、難を逃れた」と言う表現が繰り返されます。
ダビデの逃げる行動が強調されています。
ダビデは、サウルとは戦いません。逃げることで、自分の命を守ります。
それは正しいのです。ですから強調されて記されるのです。

一方で、そのような状況でも、ダビデはペリシテ人の前には出て行って、戦い勝利します。
そしてサウルの前でも、竪琴を弾き続けるのです。サウルの心を癒すために。
そして槍を投げつけられてしまうダビデです。
愚かなようにも見えます。

自分を憎む王サウルの命令でペリシテ人と、命がけで戦い。
サウルのために竪琴を奏でます。
そして、サウルに命を狙われれば、ひたすら逃げます。
サウルとは戦いません。
矛盾するような、危険なことをしているように思えるダビデです。

しかしダビデは、主の前に正しいことを行い続けているのです。
イスラエル人を苦しめるペリシテ人の前には出て行って戦うことを避けません。
竪琴を奏でることもサウルのためになるので、止めません。
しかしサウルとは戦いません。逃げて、逃げた難を逃れるののみです。
主が、助けてくれると信じているからです。

6節で、誓ったのに直ぐにまた、ダビデを殺そうと心と行動を変えるサウルとは違います。
サウルは、主の前を生きていないです。
二人の歩む先にあるものが見えてきます。
いつも変わらず主の前に正しいことを続けるダビデの生き方に倣いたいものです。
シャローム