「完全なものが現われたら、部分的なものはすたれるのです。」コリント人への手紙 第一 13章10節
完全なものとは、神の御子であり、私たちを罪から救う救い主イエス・キリストのことです。
同時に、罪人さえも愛して、ご自分のいのちさえ犠牲にしてくださるイエス様の愛のことでもあります。
御子の愛が、この地上に人となって現われてくださったのです。
私たちは、完全な愛とはどういうものかをイエス様の姿、生き方から知りました。
完全なものが現われたというのは、ただ、人が目撃すると言うことではありません。完全な愛に愛されることを知り、自分のこととして経験するということです。
部分的なものとは、律法のことです。
律法には、キリスト・イエスの愛について教えてくれています。
しかし、文字通り、文字で示された神の愛が、御子が人となって地上に現われてくださったので、愛を経験できるようになりました。
律法が間違っていて、破棄されるのではありません。
律法は養育者でした。罪人を導く教師です。
すたれるとは、律法が段々と黒子に変わり、イエス様が前面に出て来て、私を導いてくれるのです。
今は、父なる神様を「アバ。父。」と呼べるようになりました。
私は、導かれてここに来たのです。
地上に現われてくださったイエス様とお会いしたのです。そして神の愛を知りました。
シャローム