「神のみこころであるなら、悪を行って苦しみを受けるより、善を行って苦しみを受けるほうがよいのです。」ペテロの手紙 第一 3章17節
悪を行えば、やがてさばきを自分の身に招くことになります。快楽を求めて悪を行えば、最後には必ず苦しみが待っているのです。
しかし、善を行っても、苦しまなければならないことがあります。
何故なのでしょう。
この場合の善を行うとは、良いことをする善行をするということと、神のみこころに従って福音を伝えるという二つのことがあります。
14節、17節で示すのは、イエス様に倣って生きて、福音を伝える行いのことです。
福音を語るのは、義を行う生き方であり、善を行うことです。
しかし、世は神に背を向けているので、善をおこなう人を非難したり迫害することもあります。
しかしその苦しみは、かの日には、再会する主イエスによってすべてぬぐい去られて涙は笑顔へと変えられるのです。
この約束は確かです。
善を行って受ける苦しみは、一時的なものです。私たちには長く感じる時もありますが、主の前には一時的です。必ず、主ご自身がぬぐい去ってくださるからです。
しかし、悪を行って受ける苦しみは最後には取り返すことができないさばきに繋がっているのです。
イエス様も私のために善を行って苦しみを受けられたのですから、私たちも少しだけ主イエスの苦しみを受け取って行きましょう。
必ず慰められるから。
シャローム