「私はこの福音のために、鎖につながれながらも使節の務めを果たしています。宣べる伝える際、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。」 エペソ人への手紙 6章20節

エペソの手紙の最後です。
えぺその人々の平安と愛があるようにと祈り、祝福を願って手紙を閉じる前に、パウロは語るべきことを余すことなく語ります。
20節は、パウロらしい言葉です。
二つのことが、まさにパウロの言葉だと感じます。そしてイエス様の福音を信じる者にとって共通の大切なことです。

1つ。 鎖につながれ、自由を奪われ、痛めつけられたとしても、パウロは大胆に喜びと共に福音を伝え、イエス様を証しします。
この時、パウロは牢獄の中です。本当に鎖につながれています。
不自由のはずです。命の危険もあったはずです。しかし、不安や恐れは主を愛する喜びと平安によって取り去られています。
そして牢獄でもイエス様の愛の使節として仕えるのです。
できることはあるのです。

15節には、神の武具として「足には平和の福音の備えをはきなさい」と、教えられます。
鎖につながれようとも、信仰者の足には、イエス様の福音は備わっています。
捕らえられていても自由です。

今、コロナ禍で、私たちは経験をしたことのない制限を受けています。不安もあります。
今日の日曜日の礼拝に自由に集うことも制限が入るかも知れません。
しかし私たちの足は自由です。福音をはいていますから、平和を伝えるために何処へでも行けます。
それがイエス様を信じ、愛する私たちの特権であり、力です。

二つ目。
パウロは、使節として、牢獄でも、敵対する人たちのまっただ中でも、臆することなく語ります。
使節の務めを果たします。
しかし、パウロは教会の友人、神の家族に、自分のために祈ってくださいと、いつも願うのです。
弱さもあり、祈りの支援が大切であると、知っているパウロなのです。
牢獄にも、祈りの支援は届き、聖霊がその祈りに答えて働いてくださるのです。

私たちも、福音の備えをこの足にはき、祈りの支援を受けて今日も、礼拝から始まる七日間を歩み通しましょう。
シャローム