「たとえ私が、あなたがたの信仰の礼拝といういけにえに添えられる、注ぎのささげ物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。」 ピリピ人への手紙 2章17節

パウロはここでイエス様を信じた新約の時代の信仰者の生き方を旧約聖書の時代の信仰者と重ねて語ります。
旧約の時代には、いけにえを献げました。手ぶらではありませんでした。
新約の時代には、いけにえは献げません。
パウロは、そのいけにえの代わりに自分がなっても喜ぶのだと言います。
すなわち、パウロの殉教です。

新約の信仰生活は、イエス様を救い主と信じるところから始まります。
そして、いのちのことば、すなわち聖書の言葉をしっかりと聞いて、従順に従い通し、最後まで謙遜に仕えます。
それはイエス様が、十字架の死まで従順に謙遜に、父なる神の計画に従われたことに倣う生き方です。
そして主イエスの再臨の日に救いが完全に完成、達成するまで、信仰の歩みを続けるのです。

主のことばに従う日々が、私たちの献げるいけにえです。
パウロは、ピリピの人の信仰が達成するために、自分が殉教することも喜んで従うと告白するのです。
そしてピリピの人たちにも喜んで欲しいのです。

殉教もまた喜びとなるほどに、主イエスに従うことが、新約の私たちの信仰生活であり、献げるべきいけにえです。
喜びを持って信仰生活を送りたい。
シャローム