「あなたがたは、忍耐することによって自分のいのちを勝ち取りなさい。」 ルカの福音書 21章19節
 
 異本に「勝ち取ることになります」というものがあります。
 ここでいう自分のいのちとは、地上での命ではなく、主が与えてくださる永遠のいのちのことです。
 主イエスが再臨されるその日まで、信仰者には迫害があり困難があります。
 
 迫害され捕らえられた時には、その場は「主を証しする機会」になると、13節は示します。
 そして、その証しの機会には、主が迫害する者たちが反論もできない「ことばと知恵」を与えてくださるのだと、15節は示します。
 
 迫害されても苦しめられても、そこに不思議な主の助けが与えられることを示した後で、忍耐することを求めるのです。
 信仰者には主からの恵みがあり、主の助けがあるのです。それは確かな約束です。
 しかしその時、私たちには忍耐することが求められます。忍耐は必要です。
 勝ち取ると言うのは、自分の力で勝ち取ると言うことではなく、主の恵みとしての永遠のいのちを、確実に受け取ることになるということです。
 
 主の守りと恵みは、自動的に与えられて、私が何もしなくても私を守ってくれるのではないのです。
 迫害や困難を受け止め、自分のこととして向き合って行く時に、主の守りと恵みを知ることになります。
 忍耐するとは、消極的な行動ではなく、積極的に信仰に生きる証しの生き方です。
 
 そしてそ忍耐の先には、永遠のいのちの約束があります。主との再会の日があるのです。
 期待して、証しして、しかし忍耐して待ちたい。
シャローム