「主がイスラエルの前でベニヤミンを打たれたので、イスラエルの子らは、その日、ベニヤミンの二万五千五百人を殺した。これらの者はみな、剣を使う者であった。」士師記 20章35節 (2017新改訳)
悪しき罪をおこなったベニヤミン族に対して、他のイスラエルの部族は怒り、協力してベニヤミンを打とうとします。
しかし、1本の毛を狙って石を投げても、的を外すことがないような精鋭を七百人もいるベニヤミン族でした。16節。
イスラエルの連合部族は、勝利することができません。
イスラエルの子らは、泣いて主に、戦い続けるべきかを伺うのです。
主は、攻め上れと答えられますが、やはり敗けるのです。
もう一度伺うと、また主は、攻め上れと答えます。この時は、明日、ベニヤミンを渡すとも答えてくださるのです。
即ち、主がベニヤミンをさばいてくださるのです。
イスラエルは、ついに勝利します。
この戦いは不毛です。
ベニヤミンを打つ側も、本当の正義があるようには思えません。
しかし、ベニヤミンの罪を主はそのままにできないのです。
ですから、泣いて祈り求めたイスラエルを用いて、さばきをおこなわれるのです。
ここ35節には、はっきりと主が打たれたのだと、記します。
イスラエルがベニヤミンに勝利したのではありません。
主が、ベニヤミンを打たれたのです。罪のさばきです。
不毛な戦いを始めてしまったのです。
レビ人の最初の側女に対する行動も正しくありません。
側女の死を知り、怒りのまま戦いを始めたイスラエルにも、真の正義はありませんし、そこに愛と赦しもありません。
しかし、イスラエルの子らからの言葉を聞いても、悔い改めなかったのがベニヤミンです。
彼らは、この出来事の中で、一切、主に祈っていません。主に助けを求めません。
これが最大の罪です。
怒りでの行動が始まりでしたが、涙と祈りをすることができたイスラエルは、主を信頼したのです。
主は、そのわずかな、弱い信仰を受け取ってくださったのです。
私たちは、苦難や問題の最中に、泣いて主に求め、主に涙とともに祈ることを忘れないようにしたい。
そこに思い掛けない助けと解決、回復があります。
それにしても乱れた士師記の時代です。
こういう事実、史実があったことを覚えておきたい。
シャローム