「しかし実際、部分は多くあり、からだは一つなのです。」コリント人への手紙 第一 12章20節

この頃のコリントの教会に起きていた問題と混乱の一つに「異言」のことがありました。
異言とは、外国の言葉と言うことではなく、私たちが知らない、本来なら語ることがない特別な「言葉」です。
神の国について、神様のことについて教えてくれる言葉が異言と呼ばれます。
しかし、その異言を語る人が特別視されて、語ることのできない人と比べて称賛されてしまうと言うことがあったのです。
そのために、教会の中に混乱と分裂が起きていました。
パウロはそれについて忠告します。

からだは一つなのです。
キリスト・イエスををかしらとしたからだであり、キリスト・イエスが中心です。
そして、イエス様を信じる人は皆、その一つのからだの部分、器官なのだと強調します。
自分を特別だと思うことはできません。むしろ謙遜に他の人を思いやり、立てることが必要です。
そして、部分は神様によって結び合わされています。
結び合わされているので一つになっています。

与えられている賜物も自分のためではなく、同じ一つのからだのためであり。
次に結び合わされて一つになっていく新し部分のために働く賜物です。

違うからこそ、一つのからだになります。
一つのからだに属している私たちなので、他の人は私とは違うのです。同じ部分だけでは一つのからだになりません。
イエス様に繋ぎ合わされた小さく弱い部分である自分のことを誇りたいと思います。

シャローム