「イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。」ヘブル人への手紙 2章18節 (2017新改訳)
私たち人はすべて死ぬことが決まっていて、逃れることはできません。
そして人は、死の先を知らないままでは、恐怖して、奴隷のように死の恐怖に繋がれたまま地上での一生を過ごすことになります。
私たちの不安や争う心などもみなそのような恐怖を他のもので誤魔化すところから出ているのだと思います。
しかし救い主を信じる時、死の先が永遠の滅びではなく、神と和解して永遠のいのちを持って、神とともに生きる道があります。
イエスは、そんな私たちを滅びから、また死の恐怖に繋がれているところから解放し助けるために、自らを犠牲としてささげてくださったのです。
私たちは、罪を犯したので、苦しみ悩みながら、滅びへと向かう者でした。
しかしイエス様は罪は犯さず、ただ私たちを救うために、私たちが受けなけければならない試みを自ら進んで受けてくださったのです。
そしてその試みにすべて勝利してくださり、解決の道を示してくださいました。
それなので、イエス様を信じる人は、試みに会うことはあっても、そこから助け出していただけるのです。
罪の結果、試みを受ける私たちと、愛の結果、試みを受けたイエス様。
イエス様の愛を信じる人は、試みの先にイエス様とともに生きる道に進み行くのです。
試みを受けたくないと祈るより、イエス様とともに試みの中を通り先に進みたいと祈りたいのです。
シャローム