「その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされた。そして、ピリポを見つけて、「わたしに従って来なさい」と言われた。」 ヨハネの福音書 1章43節
イエスさまが弟子を招く場面です。
イエスさまは、公の活動を始められる最初に、ピリポやペテロたちを招き、弟子とされました。
この時に招かれた弟子たちはこの時から十字架の死まで弟子であり、イエスさまが天に帰られた後、初代教会を建てていった人たちです。
イスカリオテ・ユダを除けば。
このように書くと、弟子たちは特別な人であったようですが、そこには二つの面があります。
12弟子たちは特別であったけれど、特別なだけではなかった。
私たちも、同じ弟子となっていくと言う面で特別ではなく、招かれた皆が特別なのです。
私たちは、イエスさまを観客席から眺めるファンではない。時折、握手を求めて近づくな熱心なファンというのとも違う。
イエスさまの後に続き、その業を倣う弟子なのです。
そして神であるイエスさまが、私を「見つけ」私を「招いた」のです。
私たちは、自分がイエスさまを求め、近づき、信じたように思ってしまうことがあります。
けれども、私たちが見出した神さまではなく、神さまが私を探し、見つけてくださった。
そして「従って来なさい」と、言われたのです。
イエスさまに招かれたというのは、見つけていただき、従うと言うところまでセットなのです。
イエスさまが私たちを愛して、御国の建設のために先へと進まれます。私たちはイエスさまを愛して、従って行くのです。
シャローム