「しかし、もし私たちが自分をわきまえるなら、さばかれることはありません。」コリント人への手紙 第一 11章31節
この頃、コリントの教会には幾つかの問題が起きており、パウロは別の町でそれを聞いて心配していました。
そして忠告やアドバイスをしたのです。
その問題の内の幾つかは、コリントの町の習慣や流行といったものを教会の人たちも真似をしていたことから始まったようです。
ですからパウロは、最初に「キリストに倣い」「私に倣う者」と勧めるのです。
信仰者として自分に倣いなさいとは、大胆で自信に溢れた言葉のようですが、人々が町や町の人々を真似るのではなく、日々の生活からキリストに倣うことを勧めるのです。
知らずにいて偶像を崇めてしまったり、その偶像礼拝に賛成してはいけないからです。
わきまえるとは、教会に集う弱い人のことを配慮しているか、自分を中心にして好き勝手な振る舞いをしていないかを吟味することであり。
それは単に食事をすることだけではなく、聖餐の恵みに与ることへもつながるからです。
わきまえるとは、キリストを愛し、キリストに愛されている自分を知り。
隣人を愛して、仕える生き方を礼拝で、信仰の日々で送るように求めることです。
パウロは難しいことを命じるのではなく、倣うべき方、目指すべき方をよく見ることを教えているのです。
キリスト・イエスこそが私を愛してくださった方であり、私が倣うべき方です。
倣うとは、日々の生活で明らかにしなければならないのです。
シャローム