「ですから、ほかの者たちのように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。」 テサロニケ人への手紙 第一 5章6節

「身を慎んでいましょう」は、酔わないでとも訳すること理解することができます。8節のことばも同じです。
私たちが夜眠るのはごく自然のことです。
しかし、日中に眠っているように心が鈍くなり、罪にも鈍くなってしまって神さまから離れてしまう生活をするならば、それは眠っているようなものです。
また、酔って正しい判断と行動が取れないことと同じになってしまいます。

ですからイエス・キリストを信じた人は、目を覚まして、身を慎んで、愛の行いをすることを求めるのです。
自分では起きていて活発に活動しているつもりでも、心が鈍く、行動が愛に欠けるようでは、眠っている人です。
身を慎むどころか、彷徨いさすらう生活になってしまうのです。
その生活には、平安がなく、心が満たされることがありません。

いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝できる生活は、目を覚ましてイエス様の御跡を追い求めなければできないのです。
目を覚ましているなら、それはまた、よくイエス様のことば、声を聞き取ることができるのです。

こう教えて、勧めるパウロも、この手紙の最後に自分のためにも祈ってくださいと、記します。
信仰の友人、教会の家族の祈りがなければ、目を覚まして、身を慎み、イエス様に倣うことはできません。
しかし、祈られているので、自分ではできないと思っている信仰の歩みができるのです。
シャローム