「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。御子は罪のきよめを成し遂げ、いと高き所で、大いなる方の右の座に着かれました。」ヘブル人への手紙 1章3節 (2017新改訳)

この手紙は信仰を持ったのに、まだ日の浅い時に迷っている人、信仰を失いそうになっている人に向かって書かれています。
最初にパウロは、御子イエスと言う方が、旧約聖書に記される預言者と御使いより遥かに勝る方であり、完全な方であることを示します。

預言者によって語られてきたことが、御子イエス様の誕生と十字架の死と復活によって、完全に成し遂げられたたこと。
御使いより遥かに力があり、御使いはイエスに仕える存在であること。
御使いを初め、被造物世界は変わりいくものだけれども、御子は決してか割ることがないことまでを、詩編を引用しながら語ります。

ユダヤ教の様々な儀式や、目新しくて驚くような言葉を聞くと、私たちは心が引かれることがあります。
御使いを目撃したなどと聞けば、特別な体験をしたことを羨ましく思ったりするかも知れません。
しかし神は言われるのです。
私の救いに必要なもの、良いものは、すべてすでにイエス様によって私に与えられているのです。
もう他に何かを求める必要はないのです。
イエス様は、今も、貴方のために天の御国で父なる神の右に座して、貴方のために執り成してくださっています。
十二分なのです。
私たちは、イエス様の語られたことばを聞いて従い。
イエス様の足跡を辿り、その愛の業に倣っていけば、迷い、不安は取り去られるのです。

ここ1章には「いったい」と言う表現が繰り返されます。
これ以上何が必要でしょうか。
これほど素晴らしい方、イエス様が私たちに与えられているのに、これ以上、一体何を望みますか。
そういう表現です。

貴方と私の罪の赦しと、永遠の命の約束、備えられている良い業、そのすべてが完全に与えられています。
信仰によりそれを受け取っているのです。
シャローム

シティリジョイスチャーチ 榊原康成
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