「サウルは、サムエルがいることになっている例祭まで、七日間待ったが、サムエルはギルガルに来なかった。それで、兵たちはサウルから離れて散って行こうとした。」サムエル記 第1 13章8節 (2017新改訳)
サウルとイスラエル人を打とうとして、ペリシテ人が集まっています。
イスラエルの兵たちは、恐れ不安になっているのです。
戦いを前にして、イスラエルは例祭を献げ、いけにえをささげようと、祭司サムエルを待っていました。
ところが予定の日を七日も過ぎてもサムエルは来ません。
兵たちの不安や恐れは最大限になり、多くの兵が去って行こうとするのです。
兵を引き止めるため、サウルは、サムエルの代わりにささげものをします。
しかし、それはイスラエルにおいては、祭司しかおこなってはいけないことでした。
兵は不安と恐れの中にいます。
サウルもまた、兵の心が自分から離れてくことを恐れています。
兵の心を引き止めるために例祭を献げます。
しかしそれは間違いであったと、到着したサムエルに指摘されるのです。
サウルは、踏み留まるべきでした。
すべての日が不安になっても、サウルは、献げものではなく、主のことばに信頼して待つことを大切にすべきでした。
一人ででも、祈り待つべきでした。
祈りの中で、主と交わりを深め、自分の不安も恐れもすべてを注ぎ出して、待つことに力と勇気を向けるべきでした。
これは簡単なことではありません。
形を整え、献げものをしたほうが安心できるはずです。兵も納得するでしょう。
しかし、王となったサウルは、率先して祈り、静かに待ち続けることを兵の前にすべきでした。
目に見える去って行こうとする兵を見ず。
献げものと言う見える形を行わず。
信仰と言う見えないものに信頼して待つ。
試される時なのでしょう。
シャローム