「しかし、私たちの救い主である神のいつくしみと人に対する愛が現れたとき、」テトスへの手紙 3章4節 (2017新改訳)
手紙の最後に挨拶とともに、パウロはテトスに対して、良いわざに励むように勧め、命じます。
具体的には、各地へ向かう伝道者を支えて、送り出すことなどです。それも惜しみなくするように勧めます。
また、投獄されて寒い冬を牢獄で過ごすことになるパウロを訪問して欲しいとも願っています。
同じ信仰を持って歩む者として、互い愛し合い励まし合うことを願っているのです。
そんな手紙の終わりに、パウロは私たちが決して忘れてはならないことを教えます。
何故、今私たちの罪がすべて赦されて、永遠のいのちを受け取っているのか。
何故、かの日には主イエスと再会し、御国に入ることが約束されているのか。
それは御子が、人となって地上に現れてくださったからです。
何故、御子は神なのに人となって地上に生れてくださり、私たちとともに生きてくださったのか。
そして私のために、ご自分の命を与えてくださったのか。
神のいつくしみと人に対する愛が具体的に形となって現れたと言うことです。
神のいつくしみが、神ご自身が人となり地上に生れることを計画されたのです。
そして御子の愛がそれを実践してくださったのです。
イエス様が地上に生れてくださったことこそが神のいつくしみを愛の証拠なのです。
そしてこのいつくしみと愛が明らかにされているので、私の罪が赦されていることも、揺るぐことのない確かなものだと分かるのです。
今、わたしの前には神の愛が現れているのです。
なくならない愛が現れているのです。
だから、パウロはその愛を語った後に、良いわざに励むように勧めてペンを置いたのです。
シャローム