「国々よ、近づいて聞け。 諸国の民よ、耳を傾けよ。 地とそこに満ちているものよ、聞け。 世界とそこからはえ出たすべてのものよ。」イザヤ書 34章1節

34章は、全世界に対する主のさばきがあることを語ります。
5節からはエドムへのさばきが具体的な一例として語られますが、このさばきは全世界に向けられたものなのです。
1節のこの表現は、主が全世界の創造主であり、真の統治者であることを示します。

主のさばきのことばが語られる前提には、主に背き、主のことばを聞かないで、一人ひとりが好き勝手に振る舞い、罪を重ねているという事実があります。
今、主のことばはもう一度、世界にすべてのものに向って語られます。
それは特に人に限らないで、主のよって創造されたすべての日造物に向って語られるのです。
本来、主のことばが届かないところはありません。聞こえていないものはないのです。

しかし、人があまりにも聞かないので、主は、近づいて聞け、耳を傾けよ、聞けと、声を上げるのです。
そのさばきは、人の住むところが廃虚となり、野のけものたちの住み家となって、もう回復することはないと語られます。
それは世々にわたって廃虚のままなのだと、主のさばきが厳しく、徹底的におこなわれることが示されるのです。

しかし、34章で大切なことは、さばきの厳しさではないのです。もちろん、主のさばきを知ることは大切です。
聞け、耳を傾けよ、聞け。
これが大切に聞くべきこと。
主のことばは私に向けて語られています、語られてきました。
私は、その主の愛と忍耐のあることばを、しっかりと聞いてきたのかどうかが問われるのです。
聞かない私。
それでも、それでもなお、主は忍耐をもって語り続けてくださる。
永遠の廃虚、世々にわたる廃虚に、この身がなる前に聞かなければいけません。
聞け。
しもべは聞いております、主よお語りくださいと、少年サムエルのような心と態度で、今日を過ごしたい。
シャローム