「祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるイエス・キリストの、栄光ある現れを待ち望むように教えています。」テトスへの手紙 2章13節 (2017新改訳)
パウロは、この少し前の9節では、奴隷はその主人に従って、主人に喜ばれるようにすることを示します。
この言葉を指して、パウロが奴隷制度を容認していたと批判する人がいますけれど、パウロの意図はそういうことではありません。
今ある立場、生活の場所で、主イエスに喜ばれる生き方を勧めるのです。
何事も、主イエスに仕えるように愛と真をもってしなさいということです。
逆に主人側の立場の人も、同じ心を持って、奴隷にはどのように接するべきかを示すのです。
その証拠にパウロは、教会の指導者であるピレモンには、逃亡奴隷であったオネシモを信仰の友人、同労者として受け入れるようにと、キリストの愛にあって勧めています。
パウロは、奴隷制度の容認者ではなく、キリストのある愛のしもべとして、すべての人が生きることを勧める人です。
そのキリストのしもべとしての生き方は、主イエスとの愛会を待ち望み、主の栄光の現れを期待して生きる道です。
それはすべての人に与えられている恵みであり、祝福に満ちた望みです。
奴隷も、主人も、やもめもすべての人に等しく与えられています。
そのような恵みを受け取っているのですから、私たちは、周りがどのような状況であっても。
慎み深く、正しく、敬虔に生きて、イエス様との再会の日を待ち望み。
その日まで、主イエスが備えてくださった良い行いに励むのです。
その日々は困難や悲しみがあったとしても、感謝と喜びは失せることがない日々です。
主イエスとの再会の日に真っ直ぐに向かう日々です。
その歩みは、奴隷も主人も一緒に歩むのです。
だから大いに喜ぼう。
シャローム