「彼らは、神を知っていると公言しますが、行いでは否定しています。彼らは忌まわしく、不従順で、どんあ良いわざにも不適格です。」テトスへの手紙 1章16節 (2017新改訳)

パウロは愛する弟子であるテトスをクレテの教会に残して旅を続けました。それはテトスに教会を正しく導かせるためでした。
この時、教会には幾つかの問題があったようです。
ある人たちが間違ったことを教え、イエス様の栄光を現すのではなく、自分たちの利益を求める行動を取っていたのです。
しかしその人たちは言葉を巧みに操り、人々を惑わすのです。
パウロは厳し言葉を語ります。
忌まわしいとまで言われていまうのです。
それはパウロが過激な人だからではありません。
イエス様を愛する人だからです。

パウロはイエス様と出会って福音を信じた時に、その生き方を180度変えました。

それまでのパウロは、律法を誰よりも厳格に守ることを通して、救いを手にれて、良い信仰者、良いユダヤ人として生きようとしていました。
それ故、最初はイエスを信じる人たちを激しく迫害したほどです。

今、変わりました。
行いと自分を誇ることで、救いを得るのではなく。
神の前に謙遜になり、ただ、みことばを信じること、イエス様の恵によって救われるのだと信じて、その確信は揺るぎません。
そして信じた結果、その生き方と行動には、良いわざが結ばれていくことを知っています。
そのようにイエス様に従って歩んでいます。

しかし福音をそのまま信じない人。恵によってのみ救われることを信じない人は、自分の行動を誇ります。自分の能力、自分自身を誇ります。
自分を立派な人に見せようとします。
しかし残念なことにその結果、その人の行いには神様の愛が見えません、愛がないのです。
信じた結果の身が結ばれていません。
当然その人は、教会では大切な働きを任せることはできないので、パウロは厳しく語るのです。

自分を誇る人は、そのまま神に不従順な行動になっていきます。
しかし、イエス様の恵みを知っている人は、謙遜で素直な生き方へと変わりましたから、その行動にはイエス様の愛が見えるのです。

神の恵みを知ることを大切にしたいのです。
恵みを知る人には、従順、良いわざ、謙遜、愛が現れてくるから。
シャローム