「主はその母親を見て深くあわれみ、「泣かなくてもよい」と言われた。」 ルカの福音書 7章13節
私たちの日々の生活の中には悲しみを経験することが少なからずあります。
主イエスを信じて、感謝と喜びの日々を送りたいと祈りつつも、そうはならないことを経験してしまうのです。
それは私の弱さでもありますが、完全にはなれない私という姿も真実です。
その弱さを認めつつ歩む信仰の日々の中で、泣いてしまったら、私の信仰の歩みは駄目なのでしょうか。
イエス様はそんな私をも受け止めてくださいます。
そして泣いている私を見て深くあわれんでくださるのです。
私の弱さを責めるのではなく、あわれみを注いでくださり、そして声をかけてくださる。
「泣かなくてもよい」
主のあわれみが、私の涙を拭い去ってくださり、立ち上がらせてくださる。
私はまた、イエス様とともに歩き出せるのです。
悲しみ涙がすべてなくなるようにと祈るのではなく、泣いてもイエス様に慰められあわれみを注がれて、また、歩き出せるようにと祈る者でいたい。
泣いてしまう経験も大切です。
泣いた経験は、私をさらにイエス様に深く結びつけて、委ねる者へと成長させてくださるのです。
シャローム