「主は私を、どんな悪しきわざからも救いだし、無事、天にある御国に入れてくださいます。主に栄光が世々限りなくありますように。アーメン。」テモテへの手紙 第2 4章18節 (2017新改訳)
パウロがローマの獄中から書いています。
そんなパウロですが、捕えられて投獄され、この後に待っているのは処刑です。
ここでは死を殉教の死と語るのではなく、悪しきわざわいから救い出してくださって、天にある御国に入れてくださると、告白します。
逮捕や投獄と言う困難から救い出されること、危険を免れることを指して、わざわいから救い出してくださるとは、告白しないのです。
パウロにとって、異端の教えや誘惑に敗けて、主イエスを否むことと神様を裏切って信仰を捨ててしまうことが最大のわざわいなのです。
どんなに苦しい状況に追い込まれても、責められても、涙することになっても、なお、守って欲しいのは信仰を貫くことです。
最後の最後まで主イエスを愛して、主を証しし続けることが、パウロの幸いであり喜びです。
そして私たちの喜びでもあるのです。
御国でイエス様と再会するその時まで、主ご自身が弱い私を守り導いてくださるのです。
私の日々の中で、何がわざわいなのか。何が悪しきわざわいであるのかを、もう一度心に刻みたい。
ここに「無事に」と、パウロはことばにします。
無事とは、どういう状況を言うのか。
この時、パウロは牢獄に繋がれているのです。それでも無事であると、告白できるのです。
それらの苦しみのすべてに勝るものを受け取っており、救い出されていると確信できるのです。
この喜びを私たちも共に受け取り味わって過ごしたい。
そしてパウロと声を合わせて、主の栄光をほめたたえたい。
シャローム