「すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、」テサロニケ人への手紙 第1 4章16節 (2017新改訳)

テサロニケのの教会には、不安を持っている人たちがいました、
彼らは、既に亡くなったキリスト者は、主イエスの再臨の時の恵みから漏れてしまうと言う不安でした。
間違った教えが入り込み、信じてしまっていた人たちがいたのです。
ここでパウロは、主イエスの再臨について語ります。

心配して悲しむなと、訴えます。
それは望みがあるからです。

まず大切なことがあります。
私たちは、終末の日を来て、その時、主イエスが再び地上に来られると言うことを信じているかどうかです。
象徴的、比喩的な出来事ではありません。
主イエスは再び来てくださり、私たちは主イエスにお会いします。

その時、既に亡くなっている人は、よみがえらされるのです。
その後で、その時まで地上で生きて信仰生活を送っている者が、主イエスをお会いします。
これは約束されたことであり、必ず起きることだと、パウロは教えます。

私たちは、再臨の日のことを、明日にも起きることとして期待して待っているかどうか、いつも問われます。
それは期待して待ち、主イエスといつお会いしても大丈夫なように生きているかと言うことが問われていることでもあります。
主イエスを信じて生きる毎日には、将来を悲しむ日々を送ることはないのです。
主との再会を楽しみ期待して、試練にも立ち向かう日々です。
明日にも、いえ今夜にも御使いのかしらの声と神のラッパを聞くかも知れないと、期待と緊張をもって待ち。
誠実に、互いに愛し合う信仰生活を送りたい。

主イエスの再臨の日は、直ぐそこに迫っています。
信じ、期待して今日を過ごしたい。
シャローム