「ちょうどそのとき、一人のイスラエル人の男がやって来た。彼は、モーセと、会見の天幕の入り口で泣いているイスラエルの全会衆の目の前で、一人のミディアン人の女を自分の兄弟たちに近づかせた。」 民数記 25章6節

鈍感で、酷い罪を重ねて染む人の姿がここにあります。
イスラエルの男たちが、その地ミディアンの娘たちと淫らなことをして、その上、バアル・ペオルという偶像神を拝むようになったのです。
その罪が、主によって暴かれ、主の怒りが表されます。
全会衆は、主と会見する天幕の前で嘆き悲しんでいるちょうどそのとき。

シメオン族のかしらのジムリが、ミディアンの女を連れて来たのです。
民が、嘆き悲しんでいるとき、そして、天幕の目の前、即ち主の目の前で罪を犯したのです。
それは、二重の重い罪です。

主の命令を破り、ミディアンの女と姦淫の罪を犯すこと。
同時に、主の前でその罪を行うことで、主を無視する罪であり、同胞をも無視する罪です。
罪を嘆き悲しむ人がいる一方で、それに気がつかないばかりか、さらに罪を重ねてしまう人がいます。

私たちは失敗もするし、罪を犯してしまうかもしれません。完全な人間ではないし、弱い者です。
しかし、罪に鈍感にはならないようにしたい。
主の御心に鈍感になり探ろうとしない者、隣人の心を寄り添うことができないような者にはなりたくないものです。
主の前に罪を知り、罪を悲しむ人と心を合わせて罪を悲しみ、悔い改める者でいたい。

シャローム