「まことに 私は自分の背きを知っています。 私の罪は いつも私の目の前にあります。」詩篇 51篇3節

あわれんでください。背きをぬぐい去ってください。
詩人は最初にこのように願い、祈りの声を上げます。
神のあわれみ、恵みを与えてくださいと、切に願うのです。
それは詩人が自分の罪を認めているからです。

2節で告白する罪は、具体的な人に対する罪のことでしょう。
そして、それはそのまま神の前に犯した罪であることを4節で告白するのです。
3節は、神の前に何も隠さずに罪を認め、罪を悔い改める詩人の姿なのです。

いつも目の前にあるとは、いつも罪を犯すということではないでしょう。
自分には隠すことができないほど明確に罪は目の前にあるという意味です。
それは同時に、神の前に隠し通せる罪などは一つもないことを詩人が知っているということです。

ですから詩人は神のあわれみを求めるのです。
そして神によって、自分の罪ををきよくしていただくことを祈り求めるのです。
罪は自分では解決できないし、きよくできないと、知っているからです。

罪を知り、認めること。
そして、神さまの前に悔い改めること。
これが罪がきよめられて雪よりも白くしていただく唯一で完全な方法です。
それを知っている人、悔い改めができる人は幸いです。
シャローム