「けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分がだれから学んだかを知っており、」テモテへの手紙 第2 3章14節 (2017新改訳)

俗悪な無駄話や空想話が教会の中でも聞かれるようになり広まっていることをパウロは指摘して、それらから離れ、惑わされることがないようにと忠告します。
しかしパウロはテモテについては安心しているのです。
テモテがしっかりと学んでいることを知っているからです。

私たちは、自分の努力や経験、能力によって救われるのでありません。
救いは、イエス・キリストを信じる信仰によります。他には何もいりません。
禁欲も割礼も必要ありません。

しかし学ぶ必要がないのではありません。
学ぶことで、より深く信仰の確信が持てるようになります。
それは神、主がどれほど深く私を愛してくださったのかをより深く知り確信することになる学びです。

それは聖書のことばを学ぶことです。

聖書はすべて神の霊感によるものだと、続く16節に記されます。
神の息吹によって記されたのが聖書であると、訳することもできます。
創世記の初めに人が神の息吹を吹き込まれて生きるものになったように、神の息吹を聖書のみことばを学ぶことで感じ、自分の中に受け入れるのです。
いつも神の息吹に触れるように聖書のみことばに触れている人は、俗悪な無駄話や空想話などに惑わされないのです。
そしてその人の敬虔が失われるようなことにもなりません。

聖書を学ぶことは、キリスト・イエスから直接学ぶことと同じです。
貴重で豊かな学びと交わりの時になるのです。
そしてその学んだみことばにとどまっている時、私たちはキリスト・イエスの前にふさわしい者となっていくのです。
そしてそれは自分の生き方がブレることのない平安な生き方となっていくのです。
シャローム