「キリスト・イエスの立派な兵士として、私と苦しみをともにしてください。」テモテへの手紙 第2 2章3節 (2017新改訳)
キリスト・イエスを私の救い主と信じた人の生き方が明確に示されています。
パウロは今、イエスを信じて救いを信じる者として、迫害を経験しています。
その苦しみを他人事にしてはいけないのです。私もともに味わうのです。
パウロを支え、迫害や困難の中に居る人に寄り添うことを、信仰者はいつも心に覚え行動することをイエス様は求めておられます。
私たち信仰者は兵士なのです。
イエス様が私たちを守り導いてくださっていますが、同時に、世に遣わされて戦うことを求められているのです。
ただイエス様に守られて砦の中に潜む者ではありません。
出て行き、キリスト・イエスの旗を掲げ続けて生きます。
兵士ですから闘いがあります。信仰の戦いです。
外には、迫害する者との闘いと、世の人々にイエス様の愛を伝えると言う働きを続ける戦いがあります。
感嘆ではないのです。
気を抜かないで、みことばを聞き、祈りながら戦います。
内には、自分の欲望や罪の誘惑との戦いがあります。
信じたからこそ、イエス様に倣ったきよい生き方をするように求め続けるのには戦うことが必要です。
勝利は約束されていますけれど、戦わない人は信仰者の真の素晴らしい生き方や喜びを経験しないまま終わってしまいます。もったいないのです。
戦い続けたパウロは、苦しみを通って喜びと平安を経験してきた人なので、ともに戦い、ともに喜びを分かち合いたいと願っているのです。
戦果を挙げるのが立派な兵士ではなく、みことばとともに生きて戦う人が立派な兵士です。
シャローム