「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。」コリント人への手紙 第一 6章20節

私たちはイエス・キリストを私の救い主と信じました。
そして、主を信じる者として生きるようになったのです。
しかし、私たちの実際の生活が以前のままのようであるとパウロは指摘するのです。
世の価値観と世の方法を、主を信じて歩むことよりも優先させていると指摘します。

そうではなくて「自分のからだをもって」即ち、私の生活、生き方のすべてを通して、神を愛して神様に従う生き方をするように語るのです。
神の栄光を現すのは、とても難しいです。
けれども、特別なことをするのではなく、神を愛し隣人を愛し、キリスト者は互い謙遜に仕え合う生活が、神様の愛を表し、神様の栄光を現すことになります。

できるでしょうか。
しかし、私たちは既に、イエス様の命と言う代価が支払われて買い取られた者です。
罪人の私には、本当なら代価となる価値はなかったはずですが、イエス様が私を愛して代価を先に支払ってくれました。
そして、買い取られて主のものとなりました。私は、私のものではなく主のものです。
今一度、買い取られている我が身であることを覚えて、神の栄光を現す一日を過ごす者となりたいものです。
それも聖霊が導いてくれます。安心して委ねていきたい。

シャローム