「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそが、大きな利益を得る道です。」テモテへの手紙 第1 6章6節 (2017新改訳)

満ち足りるとは、どういうことなのでしょうか。
主イエスが、私に恵みを与えてくださいました。
私が受け取っているものがどれほど素晴らしい恵みなのかを知ること。
恵みを知ることが満ち足りることです。
次の節には「私たちは、何もこの世に持って来なかった」とあります。
何も持たず、さばかれて当然の私が恵みを注がれているのです。

今、私に注がれている恵みを知り、喜ぶことが満たされていくこと。
恵みを知らなければ、不足ばかりを訴えることになります。
それはずっと不足を感じ、喜ぶことがありません。

今を喜び、平安を得て満たされることが、一番大きな利益を得ているということなのです。
恵みが主から十分にきていることを信じられなければ、もっと欲しいと不足と不満を覚えてキリがないのです。

私の毎日で満ち足りるのは、主から恵みが与えられていることを知っているからです。
恵みを恵みとして受け取れるのは敬虔な心です。
主を愛する心です。

でも、先に主が私を愛してくださって、恵みを与えてくださったのです。
そこから始まるのです。
シャローム