「同じように、良い行いも明らかですが、そうでない場合でも、隠れたままでいることはありません。」テモテへの手紙 第1 5章25節 (2017新改訳)

教会に誠心誠意仕える長老には、二倍の尊敬をもって接するように教えます。
そして罪を犯した長老に対することばもあります。
敬意を払い、二人、三人の証人がなければ訴えることができないのだと、教えます。
同時に、実際に罪を犯した長老は教会のすべての人の前で責められることになります。

長老への教えの前には、やもめに対する援助について教えます。
これらは教会が、キリストの愛をもって正しく生きることを教えるものです。
罪は暴れて、直ぐに罰せられるのだと教えます。
同時に、良い行いは皆に知られることとなり、隠れたままにはならないと教えます。

キリスト・イエスがすべてのことを見ていてくださるのです。
そして行いにふさわしく主が祝福し、またさばかれるのです。

私たちは、キリスト・イエスに知られていることを喜びとし、安心して歩むのです。
罪は隠せませんが、そもそも罪をおこなわなければ、隠す必要などないのです。
良い行いも、主はちゃんと見ていてくださるのですから、私たちは積極的に良い行いをするのです。
人に見せなくてよいのです。主が見ていてくださるから、その報いは主から与えられます。
シャローム

シティリジョイスチャーチ 榊原康成
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