「彼らは 羊のようによみに定められ 死が彼らの羊飼いとなる。 朝には 直ぐな者たちが彼らを支配する。 彼らの形はなくなり よみがその住む所となる。」詩篇 49篇14節

詩篇23篇との対比で読み、心に刻みたい49篇です。

死に行く羊は食用でしょうか。その羊の名前を、いつまで、誰が記憶に留めてくれるのでしょう。
人が、自分の名前を後世に残したいと願い名誉や財産を求め、自分の仕事を誇ったとして、たましいが滅んでしまったら意味がありません。
誰がその人のことを記憶に留め、喜んでくれるでしょうか。その声は滅んでしまった人には聞こえません。

真の価値はなんであるかを問いかける49篇です。

12節、20節は、ほぼ同じ言葉で訴えます。
人の栄華は、死んでたましいが滅んでしまったなら、空しく価値がない。
自分の栄華を求めるよりも、悟ること、すなわち、神を求め、神を信じて生きることを求めよと、訴えます。

14節は、私の羊飼いが死と滅びとなってしまうことを避けるように訴えます。
だから聞け。耳を傾けよと、1節で最初に訴えたのです。

求めるべきものを間違えたくないのです。

「主は私の羊飼い。 私は乏しいことがありません」
こう告白し賛美できる喜び。
真の豊かさと平安を持っている喜びを歌える23篇の詩人の信仰を私のものとしたい。
求めるべきは主イエス。
誇るべきものは主イエス。

神とともに今の人生を歩み、主の再臨の日には永遠のいのちを持って、神の都を住まいとするのです。
シャローム