「バラムは主の使いに言った。「私は罪を犯していました。あなたが私をとどめようと道に立ちはだかっておられたのを、私は知りませんでした。今、もし、あなたのお気に召さなければ、私は引き返します。」 民数記 22章34節
不思議なことがろばに起きます。
ろばは、抜き身の剣を持っている主の使いを見て、道をそれ、ついにはうずくまってしまいます。
主の使いを見ることができないバラムは、怒りからろばを打ちます。
その時、主のろばの口を開かれらので、ろばはバラムと言葉を交わすのです。
ここ34節に大切なことばがあります。
「あなたが私をとどめようと道に立ちはだかっておられ」
ろばの口を開かれるのも、ろばが主の使いを見て道をそれるのも、主が働かれて、バラムの行こうとする道をふさがれているのです。
立ちはだかり、バラムに自分の行動を考える機会を与えています。
同時に、バラムがイスラエルの民をのろうのを防いでくださっています。
私たちは、ろばと言葉を交わす経験はしないでしょう。
他の人を特別な力でのろうこともしません。そんな力も持ち合わせてはいません。要りません。
しかし、私たちの目がふさがれていて、主が、私が行こうとする道に立ちはだかっておられるという経験はするかも知れません。
9節で主はバラムに「この者たちは何者か」と問われています。
主が、彼らの素性を知らなくて、尋ねているのではありません。
彼ら(民をのろうことを依頼に来た人)が、バラムにとって、何者かという問いかけです。
どういう関係を持つのか、関係を持ち、何をするつもりか、それは正しい行動なのかと、問われているのです。
それでもなお、バラムの心と霊が盲目なので、主は、次に主の使いを送り、ろばを用いたのです。
主は、私に恵みを注いでくださり導かれます。その主が、私の前に立ちはだかり、私をとどめて、導かれる時もあるのです。
今、私の前にある道、行こうとする道は、主とともに行ける道でしょうか。
よく見て、よく聞いていきたい。
シャローム