「たとえ、よみに入り込んだとしても、わたしの手が、彼らをそこから引きずり出す。たとえ、天に上ったとしても、わたしが彼らをそこから引きずり降ろす。」アモス書 9章2節
2節は、私たちが神様の審判を逃れることができないことを教えます。
よみとは、死者が行くところと考えられていました。そしてそこは地下、低いところにあると考えられていました。
後半の天が空の上にあると考えられていたことと、対比して語られているのです。
神様の審判は、たとえ死んでも審判を逃れることはできないのです。
しっかりと審判は、その人が受けなければなりません。死んでしまえば終わりとはいかないのです。
合せて、もし、天に上ることができたとして、それは人には不可能なことですが。
しかし、仮に地下のよみに逃れるのではなく、上の天に隠れようとしても、審判を逃れることはできないのです。
救い主を信じて従う信仰と決断を生きている間にしなければなりません。
そして自分の罪に対する神の審判を受けないままそのままにしてよみにも天にも行くことはありません。
わたしの手。即ち主の審判が直接、私に迫ってくるのです。
今は、さばきの時ではなく、赦しと恵みを受け取る時なのです。
時を間違えないようにしたい。決断を間違えないようにしたい。
シャローム