「また、だれも、一杯の食物と引き替えに自分の長子の権利を売ったエサウのように、淫らな者、俗悪な者にならないようにしなさい。」ヘブル人への手紙 12章16節
私たちがイエス様からいただいている恵みの約束が。どれほど素晴らしいものであるのか、私たちは知らな過ぎるのです。
イエス様の与えてくださっているものについては、18節から24節にかけて畳みかけるようにその内容について語ります。
イエス様は私の救い主ですと告白することで受け取る恵みの素晴らしさを具体的に分かっていないのです。
ここではエサウの出来事が例に出ています。
狩から疲れて帰ってきたエサウは、弟のヤコブが料理した煮物を食べる代わりに長子の権利を売りました。
いとも簡単に長子の権利を売ったのです。
目には見えないし、手に持ってもいない長子の権利の価値を知らず売りました。
価値を知ろうとしていなかったのです。
神様が与えてくださった祝福の約束を受け取れる権利を自分から手放したのです。
それはここで「淫らな者、俗悪な者」と最低の表現で非難されることでした。
目には見えなくても、いえ、見えないからこそ約束を堅く握ってそれを手にするのです。
私たちが受け取っている救いの恵み、イエス様が与えてくださっている十字架の約束は、エサウが捨てた長子の権利以上のものです。
その価値を、喜びを本当に知っているでしょうか。
大切にしているでしょうか。もう一度、今朝、考えてみたい。
シャローム