「そして、外に出て行って、激しく泣いた。」 ルカの福音書 22章62節
捕縛されたイエスさまが連れて行かれた大祭司の家に、ペテロもヨハネと一緒に隠れて着いて行きました。
しかし、そこでイエスの弟子であることを指摘されると、3度に渡って否定します。
3度目には、呪われてもかまわないとまで言い切って否定するほどでした。
そして、その時、鶏が鳴いたのです。
イエスさまが預言をされた通りに、ペテロは3度、イエスさまを否定したのです。
命を捨てても付いて行くと言った自分の言葉を自分自身で3度も否定したのです。
その時、イエスさまはペテロを振り返って見られました。61節。
イエスさまの顔を見た瞬間、ペテロは、イエスさまの預言されたことばを思い出したのです。
そして、大祭司の家から飛び出し、激しく泣きました。
泣いたのです。
豪語したのに、簡単にイエスさまを裏切ってしまった自分が情けなくなり泣いたのでしょうか。
恥ずかしくて、辛くて、その場にいられなくて泣いたのでしょうか。
もうだめだ、イエスさまに見捨てられてしまったと思い、泣いたのでしょうか。
私たちが信仰の生活で、使命を果たす時に、失敗をすることはあります。あるのです。
その時、激しく泣いていいのです。
自分の力に頼ろうとした高慢さ、愚かさを思い、泣けば良いのです。
泣いて、そしてやはりイエスさまに慰められて、そこからもう一度立ち上がっていくのです。
間違えてはいけないのは、イエスさまは、あなたを、私を見捨てないと言うことです。
見捨てられた。
見捨てられてしまうと、泣いてはいけない。
泣く必要はありません。
失敗ばかりの私をそのまま愛し、用いてくださる主は、私の涙をぬぐい取ってくださるのです。
だからイエスさまのところで泣きましょう。
恥ずかしくて、辛くて、人々の前から出て行っても、イエスさまの前に留まり、そこで激しく泣きましょう。
その時、イエスさまは、私を慰めて、もう一度立ち上がらせてくれます。
そして、以前の私より強くしてくださる。主に在る強さを知る者にとしてくださるのです。
シャローム