「弱い者を金で買い、貧しい者を履き物一足分で買おう。屑麦を売ろう。」アモス書 8章6節
私たちは、自分がそんなに酷い人間、悪い者ではないと思っています。
しかし、ここで8章で示されているのは、私たちの罪深い部分です。
そして、それは私の内側にもある悪、罪です。
「弱い者、貧しい者」と言葉を変えて繰り返すのは、主が愛するのは、小さな者、弱い者であることを強く示すためです。
そして、その弱い者を苦しめるのは同族の者たちや同じ国に生きる者たちです。
身売りをしなければならないほどに苦しみ困窮する者を、履き物一足で買う人がいます。
それは履き物のたった一足という、ただ同然でその弱い人、貧しい人を買うのです。
情けもなく愛も示しません。
その上、その人たちに、普通なら捨ててしまうようなクズ、屑麦を売りつけるのです。金を取るのです。
自分たちは、弱い人を買いたたきながら、施しもしないで、屑麦さえも売りつけて、自分たちは儲けるのです。
これが私たち人の持つ罪深さです。
私には、そんな罪はないと言ってはいけない。
主は、私の心の奥底まで見ておられます。
隣人に、小さき者にあわれみの心を表し、おこなう人は主があわれみを注いで助けてくださる、
シャローム