「まことに、寝床は身を伸ばすには短すぎ、 覆いも身をくるむには狭すぎる。」」イザヤ書 28章20節
28章は、エルサレムの指導者たちへのさばきのことばが記されます。
彼らは民の指導者たちなのに、民を神に立ち返らせるどころか、神から遠く引き離してしまうような人たちです。
彼らには、誰よりも厳しいさばきが与えられます。
酒に酔い、戯れていた者たちは厳しいさばきに会います。
主は、強い力を持つアッシリアさえ用いることができる方なのです。
それに対して、さばきの下にあるエルサレムの指導者たちは、情けない姿を晒します。
彼らが有益だ、有用だと思っていたものはことごとく役に立たないことが露にされるのです。
寝床が短すぎては休むことができません。
平安は失われたのです。
覆いも狭すぎるので彼らを守ってはくれません。
彼らが頼りとしてきたもの、役に立つと思ってきたものは、ことごとく頼りにはならないことが判明するのです。
主の守りと慰めは確かであり、失われることがありません。
それに対して、主に背き好き勝手に歩む人が、頼りとするものは役に立たないのです。
頼るべきは主。
愛すべきは主。
期待すべき方は主。
主の愛は、広く、大きく、深く、高い。
短すぎたり、狭すぎるようなことは決してないのです。
シャローム