「わたしは冬の家と夏の家を打つ。象牙の家は滅び、大邸宅も消え失せる。ー主のことば。」」アモス書 3章15節
主がさばきをおこなわれるのには理由があります。
その原因はイスラエルの民にあり、彼らの罪こそが原因です。
神が選ばれた民であるからといって、罪が赦されるのではありません。
選ばれた民ならば、なおのこと、その歩みには責任があります。
主のことばを聞き、従わなければなりません。
ここ15節では、主はイスラエルの家を打つと言われます。
冬の家とは、寒さを防ぐる温かい家のことです。
夏の家とは、暑さを避ける涼しい家のことです。
冬と夏と不達の季節を示して快適な家であることを強調します。
象牙の家は貴重な素材を使った立派な家のことです。
大邸宅とは、文字通り大きく広い豊な家です。
こちらも二つの表現で立派な家であることを強調します。
快適で立派な家をイスラエルの人は建てて住んでいます。その家を誇ります。
けれどもその家には主のことばがありません。主のことばに素直に聞き従う生き方をする人が住んでいません。
見せかけだけの立派さと快適という平安があるだけです。
しかし、主はその家をさばき、その生き方をさばきます。
一瞬でその家、生き方は滅び消えます。
大切なものは、その家とその人の中心に主があるかどうかです。
求めるべきは快適さや立派なものではなく、主のことばです。
シャローム