「あなたがたがキリストのために受けた恵みは、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことでもあるのです。」 ピリピ人への手紙 1章29節

今日からピリピ人への手紙を読みます。
ピリピの教会は、ずっとパウロの宣教を支援してきました。
この時も、捕らわれ(もちろん、福音を伝えたためであり、無実の罪で訴えられてのことです)て、獄中にいるパウロを励ますためにエパフロディトを使者として送っていました。
パウロは、彼を送り返す時に、この手紙を託したのです。

この手紙は感謝の手紙、愛の手紙です。
獄中にいるパウロが、なぜ、感謝に溢れて手紙を書くことができるのか。
不安、悲しみ、窮状を歌える内容ではないのか。
その答え、その基礎は、イエス様です。

パウロがイエス・キリストを信じており。
イエス様の福音を伝える使命に召されていることを、喜び誇りに思って歩んでいるからです。
そしてパウロはこの喜び、受け取らなければならない迫害は、ピリピの人も同じであると教えます。
いいえ。同じように、既に受け取っているのだと、教えます。
そしてそこには感謝と喜びがあると、告白します。獄中からです。

キリスト・イエスを信じることができたのも、実は、自分から発したものではなく、神さまが私を愛して与えてくださった恵みなのです。
恵みですから、一方的な良い贈り物です。

そして同時に、イエス様が十字架まで従われた、あの苦しみも、キリストを信じる者は受け取っているのです。
それもまた、恵みです。一方的な贈り物なのです。

 パウロと、ピリピの人たちも、そして現代に生きる私たちも同じ恵みを受け取っています。
違うのは、今朝、私たちが鎖に繋がれて牢獄の中にはいないことだけです。
キリストの恵みを、今朝、もう一度思い起こし味わいたい。
シャローム